「うるさい。こっちは集中してるの。邪魔しないで」
声を掛けたのは気まぐれだった。人と話す機会からずいぶんと遠のいていて、少し退屈気味だったのかもしれない。
「言っちゃ悪いけど」
オレはため息で言葉を区切って、
「お前、マジで下手くそだよ。UFOでこんな金の浪費はもったいないぜ?」
「……つか、アンタ誰?」
まっとうな反応だった。
オレはなんと名乗ればいいんだろう。と、しばらく思案したが、そんなことはどうでもいいような気がした。なにしろ、オレはただコイツにちょっとしたおせっかいをしたいだけなのである。その際に名前はさほど必要ない。
「走る旅人」
頭に浮かんだ単語を適当に並べただけの言葉だった。
「は? 意味分かんないんだけど」
本当に現実感あふれる反応だな。もっとも、走る旅人というのはかなりセンスがなかったかな。まぁ、いいや。
オレは彼女の冷たい言葉を無視して、UFOキャッチャーのウィンドウに手を張り付けた。首を動かしてこの子が取ろうとしてた人形を探す。あ、あった。あのオレから見て右隅に沈み加減の大きなリラックマだ。ふーん、かわいい人形さんが好みなのね。
「お前、ずいぶん大物狙いだな。実力もねぇくせに」
だが、この人形は大きい。このUFOキャッチャーに自体大きなぬいぐるみしか入れられていないのだが、その中でもとりわけ大きいので、目立っている。
「大きなお世話よ」
ああ、その通りだ。その通りだと思うから、オレの胸にはその言葉はさほど響かない。
「このクマが欲しいのか?」
「まぁ、そうだけど」
「これ以外じゃダメなのか? こういう他のぬいぐるみに埋もれてるようなヤツは取るのがメッチャ大変なんだぜ?」
「ダメなの! もう。いいから、黙ってなさいよ」
UFOキャッチャーをやる人間の心理としては手前の近いアイテムに標準を定めるのが常である。多少リスクを犯すとしても、奥にあるヤツとかな。オレの経験から想像するまでもなく、他のぬいぐるみに沈みかけている大きなアイテムを取るのは超ハイリスクだ。下手すれば単に金をドブに捨てていくだけに終わりかねない。だが、これをあえて狙いに行くというのは……。
考えられる理由は大きく二つ。この子のチャレンジャー精神が規格外であること。あるいは、この人形になんらかの思い入れがあること。オレは後者と予想する。
「オレがやってやろうか」
オレは手をウィンドウから離して、例のぬいぐるみを指差した。
「アンタがやっちゃ意味がないのよ」
「ならアドバイスしてやるよ」
「ずいぶんお人よしなのね」
「旅をしてるとな。自然にお人よしが身に付くんだよ。ほれ、さっさとやれ」
もちろん、ゲーセン女子は慌てて棚から引っ張り出してきたような理由に納得してくれるわけもなかった。別に納得してくれると思っちゃいなかったので、失望もしないが、明らかに彼女は不満げなオーラを発していたのはちょっと問題だった。
「どうしろっていうワケ?」
どうやら、オレの話を少しは聞くつもりがあるようだな。その事実に若干の安堵を覚えながら、オレは鼻息荒く意気込む。よし、教えてやろうじゃないの。
「一回のプレイで直接狙いに行くんじゃない。状態を整えてからやるんだよ。そうすれば、同じ千円のプレイでも差が出る。例えば、こうやって脇のぬいぐるみをどかしてやるとか。何度かのプレイで目当てのものを移動してやるとか。一発でやろうとするな。有利な状況を作り出すのもテクニックの一つなんだぜ?」
「あぁ。なるほど」
オレの指示通りにクレーンが動き始めた。
若干の齟齬はあるものの、理想に近い形でクレーンは目標へ降下。そのままお目当ての隣のぬいぐるみを動かすことに成功した。
「そうそう。そうやってさ」
「ふーん。なるほど」
「あと。この手のゲームのコツは重心を見つけ出すこと。頭のでかい人形なんだから、重心はずいぶん後ろにあるわけだろ?」
彼女の操作するクレーンは当初どこかしらが不安げであったりしたが、指導していくうちに重心がようやくつかめるようになったらしい。さっきまでは目標をアームでつかんだ時点でもう既に落ちているという状態だったが、今はなんとかぬいぐるみを運ぶことくらいは出来ている。見違えるとまでは言わないがある程度様になってきたはずである。
彼女はコツをつかんだようだ。
「行ける。行けるわ、これなら!」
興奮気味に彼女は声を弾ませた。相変わらずキレイな声をしている。
と、ここまで来たらオレのおせっかいも潮時か。
ラストワンプレイ。彼女の操作するアームがぬいぐるみをつかんだ。落ちそうにはない。そのままホールへと向かう。
「さ、てと。後は勝手にやれよ」
オレは踵を返し、UFOキャッチャーに背を向けた。わざとらしく機械が軋むUFOキャッチャー独特の音がオレの耳に心地よく響いていた。
「ちょっと! 待ちなさいよ」
リラックマがホールから取り口に落ちる音がした。どうやら成功させたらしい。おせっかいもたまにはしてみるものである。それほど悪い気はしない。
少し誇らしい。こんな感情を持ったのはえらく久しぶりだったように思う。
「何?」
オレは振り向いた。
「メアドくらい教えてきなよ。アンタ高校生でしょ?」
「ばっきゃろ。知らない男のメアド聞いちゃっていいの? ナンパ?」
「バカ。そんなんじゃないわよ」
ほんの冗談だった。オレはそんなこと気にする人間じゃない。
実は、こんなナンパくらいなら中学生時代でもことがある。そいつらのメアドは今でも持ってるけど、大した付き合いにはなんなかったな。まぁ、こっちも大した付き合いを望んじゃいなかったんだけど。
彼女は折られた状態の青いケータイをポケットから取り出してオレに見せた。
「あれ? これってどーすんだっけ」
「お前、赤外線通信も出来ないのか?」
コイツの不器用さはUFOキャッチャーだけに限らないらしい。仕方ないので赤外線通信にて、オレからメアドを送ってやった。
「長澤渚…?」
彼女はオレの名前を読み上げて、
「へぇ、女の子みたいな名前だね。そういえば顔も女の子っぽいなぁ。実は女?」
「そんなワケあるか。声を聞け声を」
オレの軽口に彼女も笑った。手には薄いブラウン色におなかが真っ白、大きなリラックマが抱えられている。
そういえば、見よう見たいと思っていた割に今まで彼女の顔をまともに見ていなかった。胸の高鳴りの再開を感じつつ、オレは顔をすっと上げた。
その瞬間、オレはちょっぴり息を呑んだ。少々動揺もした。否定はしない。
「あたしは中田実星。中の田んぼに…実りの星って書いて『実星』」
リラックマ越しに見る彼女の顔はオレの期待を裏切ることはせず、むしろ想定外にかわいかった。この子のかわいさを的確に表現するボキャブラリーがオレにはないけれど、バランスが取れていてキレイというわけではなく、一つ一つのパーツがそれぞれ愛嬌がある、と言ったほうがいい。目が大きくて、鼻は丸っこく、キメ細やかな茶髪は肩にかかるかかからないか程度。髪を下ろしているせいか、纏うフンイキはどこか大人っぽい感じにも見える。
「ちなみに三角関数が苦手な高校二年生。アンタは?」
中田と名乗る女子は後ろ髪を右手でふわりと浮かせながら笑う。容姿が大人っぽいからか、子供っぽい笑みが妙に際立つ感じがした。
「オレも高二。中田さんだっけ? アンタは高二って顔してるから話しかけやすかったよ」
高二っぽい顔というのは、果たしてどんな顔なのだろう。実はオレにも分からない。だが確かなことは、彼女はどことなく話しかけやすいフンイキは持っていた、ということだ。そうでなかったら、オレだって見知らぬ女子にすんなり話しかけたりはしない。まして、オレはさっきまで多少ブルーな気分だったからな。
「なんで、あたしに声掛けたの?」
「いや、それはマジでお前が下手くそだったんでな。見るに耐えなかっただけ」
「小さな親切大きなお世話よ」
せっかく取らせてやったというのに、大きなお世話とは結構な言いようだな。と、抗議の念を込めて視線で送ってやったのだが、彼女は不敵に笑うだけであった。
と、彼女はいきなり右手をオレの目の前へと差し出してきた。この行為の意味が分からず、オレの体には一時停止ボタンがかかっていた。すると、彼女は更に手を近づけてきた。
「なに? この手は。何もおごらないぞ?」
「バカ。握手だよ握手」
オレはかなり意表をつかれた。
「なんで握手?」
「握手は万国共通の挨拶でしょうが。ほら」
彼女は勝手にオレの手を引っ張り出し、強引に結んだ。
「よろしく。友達になりましょ」
「そのナンパ台詞は何度も聞いた」
怪訝そうな顔で少し眉間に皺をよせて、数瞬後すぐに相好を崩した。
「妙に勘ぐらないでよ。大した意味はないんだから」
彼女は視線を直線にして、オレの双眸へとつないだ。
しばらく彼女がそうしているので、オレはまたどうしていいか困っていると、笑顔を崩さないままに言った。
「どこかで会える気がする」
「…気のせいだろ」
いや。オレから否定しておきながら、気のせいでない可能性も実はある。この中田さんとやらが着ている制服はオレが編入することになっている高校の制服なのだ。加えて、同じ学年と来ている。首尾よく行くと、同じクラスになって再会なんていうシナリオだって十分可能なのである。
「そうかな。あたしはそうは思わないけど」
それからすぐ、彼女のメールアドレスを貰って、オレは走ってきた道を引き返した。
新学期が始まる前までにはちゃんと、転校できたという点は不幸中の幸いとするべきだろう。手続きをすばやく済ませて、定員割れしたのだという英語科に入ることになったオレは、手続きを終えたその日のうちに教室を案内された。
前居た学校よりやや汚れた校舎の中を、担任となるらしい縦にも横にも大きい先生とともに闊歩していると、そこに脳裏に焼きついた顔が見えた。
中田実星は手を掲げた。
「よっ。奇遇じゃない。旅人さん」